かわだの歴史

  • 1958

    川田家の長男として、父の實(みのる)、母のうた子のもと、愛知県春日井市に生を受ける

  • 1976

    幼少期に軍医出身の人が院長をしている歯医者で手荒い治療を受けた経験から、患者さんが喜ぶ治療がしたいと想い、歯学部進学を決める

  • 1984

    愛知学院大学歯学部を卒業

  • 1984

    出原先生の元で勤務医として勤務開始

  • 東京|日本一のドクターに補綴を学ぶ

    東京|日本一のドクターに補綴を学ぶ

    当時、東京の霞ヶ関ビルに納富哲夫先生という有名な補綴家がみえた。
    補綴とは、ブリッジや入れ歯など、失った歯を補う技術。
    先生の患者には、田中元総理、中曽根元総理、森英恵やソニーの森田社長など、各界を代表する著名人が顔を並べていて、日本一のスーパードクターと言える人だった。ある時、納富先生が補綴セミナーを開催することを知り、受講料は大変高額だったが、日本一の補綴技術が学べるならと、このセミナーを受講することに決めた。

    受講して、まず驚いたのはその理論。今まで私が教わってきたものとは、まるで次元の違うもので、先生の理論に比べたら、大学で学んだものは子どもレベルだった。大変難易度の高いセミナーだったが、必死で学びなんとか合格点を得た。
    日本一の先生に認められた。それは、大きな自信となったとともに、その後の私の歯科人生を方向づける第一歩となった。

  • 大阪|歯周外科を学ぶ

    補綴をマスターし、次に“グラグラの歯をなんとか残したい“と思った。歯を失う原因の約半分が歯周病、この病気を制覇しなければならない。とはいえ完治が難しいとされる病気で、治療には高い技術が要求される。そこで目をつけたのが、飛ぶ鳥を落とす勢いで名を上げていた大阪の小野善弘先生。先の補綴セミナーで、日本一の理論と技術に衝撃を受けた私は、迷わず小野先生に教えを請うことにした。
    小野先生から学んだのはアメリカの最新歯周病治療、切開の方法から縫合まで、従来のものとは一線を画すものだった。“やはりトップは違う”と改めてそう思った。
    歯周外科をマスターした私はまた一歩大きな前進を感じることができた。

  • 三重|画期的な総入れ歯に出会う

    三重|画期的な総入れ歯に出会う

    歯周外科をマスターしたが、それで完全というわけではなかった。歯の損失はどうしても起きてしまい、特に全ての歯を失った場合は、総入れ歯しか方法がない。ところが総入れ歯は、何の支えもない、ツルツルの歯茎の上に乗せるだけの入れ歯のため上手く噛むことができない。そんな時、三重で開業されている川原田幸三先生が、全く新しい総入れ歯をアメリカでマスターしたと耳にした。先生を訪ねてみると、ハイドロキャストと呼ばれるその入れ歯は土手のない人でも“噛める“、目を疑うほど素晴らしいものだった。

    大きな感銘をうけた私は、すぐにハイドロキャストを伝授していただくことにした。制作には、高度な技術と労力が必要だが、通常の総入れ歯とは圧倒的な精度の違いで、性能の差は歴然だった。
    ハイドロキャストは、大げさに言えば“自分の歯のように噛める総入れ歯“他の歯医者でつくってダメだったという方にも、自信を持ってお勧めできるものに出会えた。“噛めなければ代金はお返しする“そんな心構えで仕事ができるようになった。

  • 九州|インプラントを学ぶ

    九州|インプラントを学ぶ

    歯が抜けてしまうと、ブリッジや入れ歯を施すのがそれまでの一般的な処置だった。しかし、残っている正常な歯に大きな負担を強いることが、この治療には大きな欠点があった。この時期に、インプラントという新しい技術が脚光を集めていた。インプラントのメリットは、健康な歯を犠牲にせず、骨に埋めた人工歯根が歯をしっかりと支え、本当の歯のように噛めること。
    実はインプラントについての学習は1991年から始めていた。しかし高度な技術のため、簡単に修得できるものではない。

    そこで、トップクラスのドクターである、九州の糸瀬先生のもとで、実技をメインに学ぶことにした。最初の手技は、とても緊張したのを今でも鮮明に覚えている。その後、数をこなすほどに上達し、今ではかわだ歯科の看板メニューのひとつになった。

  • 名古屋|矯正治療を極める

    かわだ歯科の治療メニューも充実してきた。しかし、日々の治療で気になることがでてきた。それは、患者さんの歯並びだった。特に子どもの歯や顎の不正を見た時は、痛々しい気持ちになる。一般歯科とは分野が違い、歯並びを直すには矯正歯科しかない。“歯並びを何とかしたい”と思いながら手をこまねいていた。
    そんな折、セントルイス大学臨床教授の宮嶋邦彰先生が、名古屋で矯正のコースを開催することを知った。私は渡りに船とばかりに、受講を決めた。そしてこのコースでは、本当に基礎から詳しく教えていただいた。
    その後、ビムラーやインビザラインといった、新しい矯正技術を修得することになるが、それもこのコースで基礎を徹底的に叩き込まれたおかげだと思っている。
    矯正は私にとって未知の分野だったが、今では専門医院に引けをとらない技術を身につけることができたと自負している。

  • 名古屋|新しい治療を常に修行中